ここのところよく言われていることですが、
モノからコトへと、物を得ることよりも体験をすることが、世の中の潮流になっています。
ふと思ったりするのですが、モノ消費とコト消費の境目ってなんなのだろう?
骨董コレクションは、モノ消費の典型だとは思いますが、コレクションすることで、わかることや、できる体験があるわけです。
なので、これもコト消費でもあると思います。
そうすると、たぶん、今言われているコト消費ってやつは、
モノを自分で所有する必要には駆られない、モノを借りるなど一時的に使うことでの体験、ということになるのかもしれません。
例えば、実際に伊万里の器を食事に使う、猿投の壺に花を活けるということをするにおいて、伊万里の皿は自分で持って無くても良い、猿投の壺も自分で持ってなくてもよい。
伊万里の皿で食事をさせてくれるお店行けば良い、猿投の壺に花を活けることをさせてくれる教室に行けば良いってことになるのですね。
でも、それが高じてしまえば、自分でモノを持っていないと、コスト的にも気持ち的にもいられなくなる。
もうひとつは、なにかを自分で創り出すことで、これは今流行のワークショップってことなのだと思います。
ただ、これも根本はモノが欲しいという欲求から行うこと。
そうすると、今のコト消費っていうのは、自分が本当に好きなこと、自分に合うことを探す旅なのかもしれません。
多様で、多彩な、なんでもある世の中のなかで、なにかを見つけたい。
単純に売っているものを買うのではなくて、自分で工夫をしたい。
大量に物がある中で生じたステレオタイプからの脱却、個人が持っている多様性の開花、ということなのかもしれませんね。
これも、コト消費の一環だよね?
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